今週のハイライト


ふとした時に「ナチュラリスト」の中で話題になるのが…ストッキング。
今日はタッキーさんのコーナーで話題になりました。

なぜ女性がストッキングを履くことがマナーとなっているのか?
タッキーさんが調べたところによると、古来からの日本の風習・考え方に関わっているそうです。
日本には、昔から「素の状態は気を使っていない」という考えがあり、そこから「素足は相手を敬っていない」という意識が生まれ、ビジネス、冠婚葬祭の場面で女性がストッキングを履くことがマナーとなったようです。

調べてみると、日本にストッキングが入ってきたのは1952年。
最初は「何も履いてないように見えて、はしたない」とあまり人気が出なかったみたいです。
そのため、わざと縫い目を作った製品もあったとか。。。

その後、1960年代のツィッギーのミニスカートブームが起こります。
この頃、ミニスカートに合わせられるパンティストッキングが開発され、女性がストッキングを履いて、脚を出す時代がやってきました。
はしたなくない上に、肌が綺麗に見え、脚がキレイに見えるファッションアイテムとして、この頃は、女性が好んでストッキングを履いていたように感じます。

そして時代は動き、バブル崩壊後に起こったのが「生足ブーム」

「生足」に抵抗がなくなったことで、「はしたない」という意識から履いていたストッキングは、「仕方なく履くモノ」という感覚に変化したのかもしれません。



「オシャレは我慢」という言葉があるように、不快であってもオシャレだと思えば人間はファッションアイテムを身にまといます。
春先、少し寒いけど我慢をして薄着になるし、少し苦しくても細身の洋服を着ます。。。

私はストッキングを履いたことがないのでわかりませんが、たぶん、ファッションアイテムとして必要と感じた時は、女性はストッキングを履いているような気がします。
もしかしたらそれはストッキングではなくタイツなのかもしれませんが…。すみません、よくわからず書いています。

冠婚葬祭やビジネスシーンで「ストッキングが不快だ」と感じるということは、その場面でストッキングは「我慢すべきファッションアイテム」ではなく、やはり「履かなければならないもの」「履かされているもの」なのかもしれません。


そういえば…学校で“着なければいけなかった”制服も、ファッションではありませんでした。
中学・高校時代に着ていた学ランについているカラー。
あれは、襟元の汚れを防ぎ、黒色に白色のアクセントを与え、型崩れを防ぐという、ファッションとしても意味のあるものですが、私は外して着ていました。
それは、私にとっては「ファッション」ではなく、「着なければいけないもの」だったから。
「オシャレは我慢」の対象ではないから、「我慢すべきものではなかった」からです。

そう考えると、学ランを、長ランにしたり短ランにしたり、制服のネクタイを崩してつけるのは、当然のことかもしれませんね。


岡さんに言われるまで、女性はオシャレでストッキングを履いていると思っていた私。
ちょっと反省しています。

でも、コンビニなどで、「足が綺麗に見えるストッキング」を見ると、チラチラと見てしまう。そんな私です。


スタッフ 馬越(男)



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