今週のハイライト

皆さんは「親ガチャ」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
先日、RCCのコラムに書いたのだが、
1ヶ月前ぐらいにボクは初めて聞いた。
数年前から若者の間では使われていた言葉だったらしいが、
一般的な言葉として認知され始めた。

今回の緊急事態宣言が出た頃、
夏休みも終わって新たな試みで小学校も始まったところも少なくない。
子供達にもタブレットも渡されて、分散登校など授業を家で聞いたり、
宿題が出たり家でタブレットを扱うことも多くなった。
学校で扱い方を聞いてきて子供のことだからすぐ覚える。
けれど、やっぱり「これ、どうやるの?」なんて親に聞くこともある。
「ん?あれ?どうやるんだろ?」「先生なんだって?」「わからない」
機種が違うだけでも使用方法は変わる。
そう詳しくない親だってたくさんいる。
そんな話を聞いていた時「親ガチャ、ハズレだな」と
小学5年生の子が言ったのだ。

「親ガチャ?」「うん、親がハズレってこと」
要するに、子供は親を選べないってことらしい。
どういう境遇に生まれるかは運まかせで、
それはガチャガチャと呼ばれる景品が入ったカプセルを購入するゲーム。
カプセルの中身は選べず、取り出すまで何が入っているかわからない、
というものによる。

そのコラムを書いた数日後、妻からも我が家にきているリハビリの先生から
親ガチャの話を聞いたらしく「ねえ、パパ親ガチャって知ってる?」
と言われた。トレンドワードにも入っていたらしい。
東大生が「親ガチャなんていう言葉を使い続ける人は『不幸になる』」
なんていうコラムや、タレントさんが「親ガチャ」って言葉を
変に大人が社会現象として捉えるとシリアスになって面白く無くなっていく、
若い人が軽やかに遊んでいた言葉なんていうことをテレビの中で話したり、
虐待を受けている子供がそんな軽い言葉で本音が言えるんだったらいい
なんていうお話まで、様々なコメントが出た。

親ガチャってハズレのことばかりがフューチャーされているけど、
ガチャポンにだって当たりがあるように親ガチャがってあたりもある。
お前ん地の父ちゃん、料理上手だなあ、親ガチャあたりだなあとか、
お母さん、面白いよね、親ガチャあたりだねっと子供から言われたり、
友達から言われたりするのかもしれない。
今年の流行語に入るかな?


35年ぶりに再開した人がいた。
35年前だってそんなに親しかったわけでもなく、
彼女は、大手出版社の書籍部に所属していて、
ボクがよく出入りしていた週刊誌の編集部で
たまたま話を2、3交わした程度だったと思う。
なぜか今でもその光景はよく覚えていた。

彼女から会いたいと連絡をもらい出向いた。
「私も6年前に脳梗塞で倒れて喋れなかったし、
芋虫のようにゴロゴロ横たわることしかできなかった。
でもね、私はその頃、親の介護もあるし、
自分で食べていかなければならなかったの。
だからなんとしても治らなければいけなくて」
そう饒舌に話し始めた。喋れなかったとは思えない。
「なんか、変な宗教とか思われたら嫌だから
色んな人には話したりはしないんだけどね…」
そう言いながら川平法の話をしてくれた。
ボクももちろん知っていた。
宗教どころか、これを実践できればきっと動かない手も足も
良くなるかもしれないなあと思っていた。
6年前に確か取材にも行ってるはずだった。
「この人はあの川平法を信じて川平先生の元で
懸命にリハビリしたんだなあ」と
ぼくの頭の中にシュミレーションした完成品が
目の前に現れたような気がしてきた。
聞いてもらいたいのはこの先の話だ。

今ぼくは、喋れない事、それから記憶障害もある。
それが、どう表現したらいいか、
原稿にもしょっちゅう書いているんだけど、
健常の人には伝わらないだろうなあと思うことがしばしばある。
それがだ、その人はピシッピシッと言い当てる。当たり前だ。
同じ経験をしてきたんだから。
「ボクの声は口の中までは出しているつもりなんです」
「半ば喋ってると思ってるのよね、けど声にはなってないんだけど」
そうそう、そうなのよ、脳の中では喋ってるつもりなんだけど、
そこの脳の中がうまく繋がってない部分があって
きっと喋れないんだろうなあと常々思っていた。
なんなら脳のこのあたりが繋がってないんです
って言い当てられるんじゃないかと思うほどだ。

ボクひとりそんなもどかしさを感じていたのかと思っていたら
「私もそうでした」とおっしゃる。
記憶も彼女の場合何十年分がすっぽり抜け落ちていたのだそう。
短期記憶もボクと同様、メモしておけばそれを記憶の呼び起こしに使って
連想ゲームのように思い出していたそうだ。ぼくも全く同じ。
ボクは倒れる前のことまでは覚えていたが、
それからのことを覚えていることも覚えられないこともたくさんあった。
彼女曰く、ほんの数ヶ月前に雷に打たれたように記憶が戻ったんだという。
そうしたらどんどん脳の中の引き出しが開くようになった。
最近のわからなかったモヤモヤも全て思い出した。
「神足さんの最近覚えていられなかったことも、
どっかに記憶してるから大丈夫。
脳がちゃんと覚えていてくれているから」そう晴々と話してくれた。
覚えていられないと思っていたボクのポンコツな脳も
「そうじゃなかったんだ」と。
なんか彼女と別れてからもずっと嬉しい。
覚えていないんじゃなくて脳のどっかには覚えていてくれて
それが出てきてないだけなんだってことらしい。
最近、「サブ脳」っていうボクの脳の動かない部分を
サポートしてくれるアプリを作りたいと真剣に思っていたが、
これは本当に朗報である。

脳疾患でもどかしい思いをされて気おいているリスナーの皆さんにも
是非聞いてもらいたい。
脳はちょっとお休みしているだけかもしれないってこと。


私事ではあるが、「8時だよ!通販生活」というwebのページで
新しい連載が始まった。WEBなので是非皆さんも覗いてみてほしい。
「コータリさんの要介護5な日常」という。
2011年にくも膜下出血により突然要介護5の体になったボクと妻が、
同じ時にどう思っていたかを交互に綴っていこうという企画。
介護する側と、される側双方の視点からだとどう違うか、
そんなことが少しでも現れたらいいのにと思う。
または、同じ気持ちだったんだなって言うのが、わかっても面白いと思う。
第1回目は、新しい読者に向けてボクがどういう人間か、
今の体の状態を知ってもらうために倒れた直後の
「ICU」にいた時のことを書いた。
1ヶ月近く危篤状態は続いて、ICUにはそのぐらいいたらしいが、
もちろんボクには全くその時の記憶はない。
ただ、ICUから出たあとどのぐらい経ってからだろうか、、、
文字が書けるようになった頃「こんな感じだった」と書き留めたり、
原稿にしたものがまるで本当の記憶のように今は残っている。
眠っていた間の夢を書き留めたようなものだ。
痛くはなかったが、「動けないぞ、あれ?動けない」と、
よく夢で自分が「おかしいなあ、どうしちゃったんだろう」
そんなことを思うことがあるが、そんな感じ。
夢で目が覚めたら普通は元の体に戻っているわけだけど、
ボクの場合は1年も経っていて体も動けなかった。
1年の間にも、メモ書きをしたり、リハビリをしたり
ご飯を食べる訓練もしてきた。
広島のお偉い方のお見舞いも受けたという。
意味あるその時のことを自分でメモもしてあるし、写真もある。
ボクじゃない人間がボクとして生活していたようだ。
そんな時代のことを、第一回目には綴った。
2回目は今週アップされた妻側のICU時代に思ってきたこと。
ICUっていうのは、命の境目をギリギリに生きている人たちが
過ごしているので緊張感があるのは当然だが、
妻が感じたICUはゆっくり時が流れていたっていうことを
今回初めて知った。
やはり現実の世の中とは違う世界で夢の中のようなことに
変わりはないようだが、ボクが早く目覚めるように
広島のお好み焼きを作って匂いを嗅がせたって話は
何回聞いてもおかしい。
真面目だからこそ笑いが込み上げてきてしまうあれだ。
まあ、ボクは全くそれを覚えてはいなかったんだけどね、残念ながら。
「何かあったら知らせますから」そう言われても
ICUの控え室から離れられなかったという。
「いても何もできないのはわかっているんだけど痛くないか心配で」
そんな話も今回初めて知った。
これからも月に2回ボクと妻が交互に書いていく。
妻は自信がないからって嫌がっていたけど、
ボクも、妻や家族がその時どう思っていたか、
ちょっと覗けるので楽しみにしている。


「コータリさんの要介護5な日常」はこちらから!


先々週の放送だったか、一文字さんと岡さんの会話の中でも出てきたが、
山縣亮太選手が100メートル短距離走で9.96。日本新記録を叩き出した。
日本で9秒台4人目の快挙だ。
24日から27日まで大阪ヤンマースタジアム長居で
陸上の東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権がある。
今トップの記録保持者である山縣選手が、
オリンピックに行けない可能性もあるのか?
そんなはずないよなあ…と応援している身としてはかなり心配である。
日本選手権男子100メートルで三位以内に入れば東京五輪代表に内定する。
この放送の時はすでに決まっていることとなる。

山縣亮太選手は皆さんもご存知の通り広島市出身。
修道中学、高校の後輩でもある。そしておまけで大学も一緒。
それだけで結構こちらとしては「おお!身内」って感じなのだ。
広島の人って広島人っていうだけで親戚みたいなもんだから、
かなり近い親戚って感じになる。
最近、東京の仕事関係の人がなんでか修道に行ったらしく、
校門の横の掲示板に最近出た山縣選手の号外と
ボクの修道の紹介文の中国新聞が並んで貼ってある写真を
送ってきてくれた。
なんたる偶然の産物で並んで貼ってあること自体
ちょっと恥ずかしくもあるが、嬉しかったりもする。
山縣選手の復活にはものすごく嬉しかったのである。
肺気胸や足の故障など2年間も第一線から外れていた感があった。
ニュースを読んで心配もしていたがコーチも就けずやっていると聞いて
最近の若いもんはコーチをつけないのが流行ってるわけ?なんで?と
最近のスポーツ選手に、山形選手に、聞いてみたかった。
でもようやく二人三脚で文字通り、走れるコーチともめぐり合い、
そしてこの日本新記録の快挙。病気を克服しての快挙だけに胸も熱くなる。
病気をしてから、病気だけではないがマイナス点からの復活
っていうのにめちゃくちゃ弱い。御涙頂戴とは違う。
その限りない努力と日常の頑張りが見えるようで胸が熱くなる。
どれだけの人が救いになるだろうか。
よく神足さんが頑張っている姿を見てると自分ももっとやれるような気がする
と言われることがあるけれどその100倍だ。
山縣選手を見ているともっと自分も頑張れるような気がしてくる。
勇気が湧いてくる。
あと余談ではあるが山縣選手ってほんと優しいやつなんだよね、きっと。
Twitterでの会話に返信くれたり、忙しいだろうにほんとありがとう。
ますます応援したくなるじゃないか。
これを岡さんが読んでくれてる時は日本代表に決まりました
ってことになっているはずだけど、どうだろうか?


皆さんは「メルカリ」をご存知だろうか?
無料で使えるフリマアプリである。
スマホやパソコンにアプリを入れて自分の家の不要なものや、
見知らぬ誰かの不要な出店したものを売ったり買ったりできるサービスだ。
「限りある資源を循環させてより豊かな社会を作ろう」
という創業者の思いで2013年にできた。
それがあれよあれよというまに上場までした。

ボクも売ったことはまだないが、昔の雑誌の付録で欲しいものがあって
探していたらメルカリにあった。
仕事で必要だったアイドルのカードだったんだけど、
同じものでも300円から2200円ぐらいまで値段もまちまちだった。
そんなに人気のあるような人のものでもないので、たくさんの出品があった。
新品、袋から出していないってものを選んで600円ぐらいだった。
捨ててしまういらないカードをスマホで写真にとって出店。買い手がつく。
探しても探しても見つからなかったものが高額で取引されている事もある。
出す人が自由に金額を決められるのもいい。
「この洋服高かったのよね、そんな値段つけたら売れないって
言われてるけど、私はいくら以上じゃないと。。。。」っていう人は
高く値をつければいい。売れるかは別問題だけど。

今まで利用者は20代30代の女性が圧倒的に多かったらしいけれど、
このところシニア層の利用がグッと伸びているんだという。
メルカリに限ったことではない。
楽天の『ラクマ』などでもかなりのシニア層の利用者が
増えているんだという。
もちろんシニア層に向けて、2016年あたりからスマホ教室や
フリマアプリ教室などを地道に続けてきた「フリマ」や「メルカリ」の努力も
あるんだろうけれど、この1年、新型コロナウイルスによっての
巣ごもり需要。家にいるから大掃除をしよう、不要なものを売ってみたい、
ということがこのところの伸び率の要因だろう。
20代30代のお金を得るためが第一目的というのとも違う。
「終活」を兼ねて一石二鳥。
そして「ちょっと面白いこと見つけちゃった、
それで数百円でもお金になるんならなお、面白い!」
そんな高齢者ネットワークのクチコミでかなり伸びているという。

知人の話だと、
「今までメールだって苦労していた祖母(77歳)が、
メルカリは教えたらなんとなくこなしてる。
で、それきっかけでスマホも使うようになった。
商品の写真を撮って出店している。
この前なんてむかーーーしの着物の刺繍の襟を出店して、
8000円で買ってもらった」と喜んでいた。
いわゆるビンテージ。高齢者にとっては捨てられなかったけど箪笥の肥やし。
おまけに手作りマスクまでつけて御礼に送ったらしい。
コンビニに行ってメルカリ送付専用の箱まで自分で買って取引を完了した。
「楽しいの」そう言って次のものを押し入れの中から物色中らしい。
我が家にも何かあるかな?



TOP