今週のハイライト


笑ってありがとう。



こんなに突然思いもよらなかったことが起こるなんて
人はあまり考えていない。

つい先日までお元気で声をかけてくださっていた方が
亡くなる衝撃は大きい。

もう知り合ってからは随分経つ。20年弱か。
ボクが元気な時は、挨拶をして立ち話をする程度の間柄ではあったが、
昨年からこの番組にコーナーをいただいていた。

一文字弥太郎さんが亡くなったなんて今でも信じられない。

一文字さんと最後の間接的会話になったのは、
12月のこの番組のコーナーでのことだった。

シニアとデジタルについてのコラムを書いたボクに対して
短いコメントの中でそれの問題定義をしっかりされていた。
デジタル社会の中で問題点が多岐に話は及ぶことを懸念されていた。

いつも今の立場のボクの気持ちに寄り添いながら、
しかし的確に厳しくも優しいコメントをいただいていた。
たった一言か二言のコメントなんだけど
毎回そのコメントは心に沁みた。

ラジオでは、ほんの1分ぐらいのやりとりであったが、
Facebookやプライベートメッセージでは
「こんなことは興味ありませんか?」とか
「ぜひ、番組でこの話題も紹介してください」
なんていうリクエストもあった。
美味しいコーヒーを送ってくれたり、
ボクの行っている取材や旅なんかにもよくコメントいただいた。
あんなに忙しくされているのに「ボク」という距離感の人に
こんなことまでしてくれるなんてどんな人なんだろうと思っていた。
ありがたかった。本当に。

良い人とか、優しい人っていうだけではなくて、
とことんいろんなことに好奇心がある人なんだろうなあと思っていた。
そして無類の本好きであるボクにとってその番組で
一文字さんが紹介している本たちの話が大好きだった。

この番組にどうしてコラムを寄せられるようになったのか、
企画を通してくれた一文字さんを初め
岡さんや皆さんには頭が上がらない。
何せしゃべれないボクがラジオ番組のコーナーを持ったのだから。
すごいことだよなあと思う。
声がなければ成り立たない世界で声の出ないボクを起用するなんて、
世界でそんなことをやってくれる放送局はあと一つ知っているだけだ。

ラジオ番組にはそんな思いもよらないことをさせてくれる自由さ、
いや本当の意味の報道だったり、マスコミのあり方が残っていると
ボクは思う。
世の中にとってラジオの力は思っている以上のものだ。
災害の時も病気の時のベッドの中も幸せな時も。

そんなラジオの大切な原動力を失ってしまった損失は大きい。
本当に悲しい。悲しすぎる。

ご冥福をお祈りしております。本当にありがとう。


2022年第72回さっぽろ雪まつりは、
最後に検討されていた大通り会場についても
開催を中止にすることが決まってしまった。
オンライン形式と現地雪まつりのハイブリットで行われるはずだったが、
オンラインでの開催のみになった。
メタバースプラットフォーム「cluster」で行う
「バーチャル雪まつり2022~創造せよミライの雪まつり~」は
スマホでもVRゴーグルでも楽しめる。

cluster会場ではヒヨコ師匠制作の
「バーチャルミライ大通公園」が設置され、
ここから他のワールドへのポータルも設置される。

そして世界各国から募集した約50体の雪像や
雪像の画像がワールド内に展示されるほか
ワールドを出展している方もいる。

開催期間は2月5日(土)から2月12日(土)まで。
インターネット上でアーティストによるバーチャルライブや
VRコミニティーとのコラボイベントなんかも予定されている。

なんか難しいワードが並んでしまったけれど、
要するにバーチャルな世界の中で雪まつりが体験できるよって話だ。
是非いってみてほしい。

今話題のメタバース内で雪まつりを見にいったらいかがかと思う。
広島からだって台湾からだってさっぽろ雪まつり会場に瞬時に行けてしまう。

もう一つお話ししたいのは、雪像を作っているのは「tiltbrush」っていう
バーチャルな世界の中に3D、立体の絵を描くソフトを使っているってこと。
ここでも以前話したかもしれない。

雪だるまを描くだけだって普通のお絵描きのように平面に、
まるを二つくっつけて雪だるまを描くのとは訳が違う。
ちゃんと球体を空間に書かなければいけない。
そんな経験ないでしょ?当たり前だけど。
立体を描くことはレゴブロックで形を作ったりパズルのようでもある。

雪像を提供しているのは、
VRアートのアーティストと呼ばれている方たちから学生さんまで
たくさんの方が世界各国から参加されている。その皆さんの作品は圧巻。

そして今回は「タノシニアン」というシニアグループが参加している。
「タノシニアン」とは、インターネットで日本を、
世界のシニアを繋いで楽しいことをしましょう!というグループだそうだ。
そのグループの方々が日本各所から参加された。

球体の描き方から始められたばかりの初心者のシニアたちと
世界のVRアーティストと呼ばれる方々の作品が一緒に並んでいるわけだ。

そのほかにも地元学生や、一般の方々も参加されている。
2022年は札幌も市政100周年を迎えるんだそう。
地元のイベントを日本中からいや世界中からかな、
応援できるのもメタバースならでは。
ぜひバーチャルな世界にお越しください。



ご存知のように、今年の9月1日デジタル庁ができた。
現大臣は、牧島かれんさん。

デジタル庁は、
「誰一人取り残されないデジタル社会の実現のため」に創設された。

「誰一人取り残されないデジタル化」の中には、
もちろん高齢者も幼児もいるわけだ。

新しく向かっていく社会の中で、
一人一人のニーズにあったサービスを選ぶことが
デジタルだからこそできるはずだと思う。

高齢者とデジタル?それは難しい組み合わせなんじゃない?
そう先入観で思ってしまう。
日本にお住まいの方の高齢者の割合は総人口の29、1パーセント。
もう3人に1人に届く勢いだ。ボクももうすぐその枠に入る。

高齢者が気が付かないうちにデジタル化の中にいるって場合は、
そんなに高齢者にも苦労もないだろう。

我が家には86歳の義父母がいる。
デジタルの得意不得意に関しては両極端の対照的な関係にある。

義父は、2面のディスプレイを駆使してマイパソコンで、
自分のプロ野球に関してのホームページを毎日更新している。
登録者数も大したものだ。
スマホにタブレットだって使いこなしている。
アプリだって証券会社や野球の他では流さない二軍の情報、
LINEにSNSまでボクより使いこなしている感じだ。

一方、義母は
「スマホなんて無理、
このガラケーが使えなくなったらどうしよう…」だし。

義母が苦労しているのは問い合わせの電話。
「#を押してくださいとか、3を押してくださいとかよくわからない、
なかなか人と話せない」デジタル化のかなり入口のところの話だけど、
ここで既につまづいている。
最初から「ああ、苦手」と言って受け付けないでいる。
けれど、義母の部屋には義母の希望でNetflixも備えているし、
マイナンバーカードだって持っている。
世の中がデジタル化していく中で、苦手で受け付けない義母だって
知らぬ間に、いや、自分の希望でデジタル化の中に踏み入れている。

我が家はまだ若い人(若いと言ってもボクだけど)と
住んでいるからいいけれど、そうでない人は、
自分では全く知らない世界かもしれない。
コロナになったとき独居の孤立した高齢者に
早くネットの環境を作るべきだと記事にも書いたけれど、
そういう高齢者だけの家庭こそデジタル化が早急に必要だと思う。
そう思う人は世の中にたくさんいて大学でも研究されているし、
企業の商品なども高齢者用にたくさん出てきた。

あとは、高齢者に伝えていく、
デジタル化したらこんなに便利になるんだとか、
それの方が簡単だよ、
そういうことを知らない食わず嫌いの高齢者たちに
伝授していくことが一番大事なんだろうなと思う。

牧壮さんという方がいらっしゃる。85才。
10月10日のデジタルの日、
第一回デジタル社会推進賞・デジタル大臣賞銀賞をとられた。
「すべてのシニアをインターネットで繋ぐ」活動が評価された。
長年、高齢者とデジタルをつなげる活動をされてきた。
ご自身でもシニアの一般社団法人アイオーシニアズジャパンなどを
立ち上げ、日本中のシニアとインターネットで繋がっている。
そしてその団体もたくさんの枝分かれもあり、様々なシニアにつながる。
その中にはボクと一緒にVRを勉強している
アクティブなシニアの方もいらっしゃる。
シニアの力はすごい、いつも思う。
なんかもったいない。人口の30%弱もいるんだから。
デジタルの力も借りて過ごしやすい社会が作れるに違いない。


サイバラから新刊が届いた。
今回は「キラキラしてない編」とのこと。
オープニングから泣いちゃうボク。
共感。成長してまあ、なにはともあれ立派なことを言うようになった子供達。
親はもう必要ないんだろうなあなんて思う。
そうじゃなきゃ困るし、
今のボクにしてあげられることなんてないのかもしれない。

この陽気のいい秋の日、窓を開けていると近所の声が聞こえてくる。
「お母さ〜ん!○○ちゃんがついてくるぅ〜(半べそ)」
よちよち歩きの弟?が遊んでいたお姉ちゃんの後を追ってくるらしい。
「いいじゃないの、一緒に遊びたいんだよ」とお母さん。
「だって〜だって〜」ああ、懐かしいなあ。

うちも心優しい7つ違いのお兄ちゃんが宿題をやってると、
そのノートに何か書きたくて妹がお兄ちゃんの膝によじ登ってきて、
ここに書かせろ!みたいなことを言っている。
「文子、こっちこっちだよ」
なんて別の紙と鉛筆を用意してあげるお兄ちゃん。
そんなことをやってたのは昨日のように鮮明に覚えている。

ボクのうちも今は老人ばかりの家で静かだけど、
近所から聞こえてくるそんなガヤガヤしている声がほのぼのと聞こえてくると
いいなあ、なんて思ってしまう。きっとお母さんは大変なんだろうけど。
そして昔のことを考える。
昔の家族の発言を、ちょっとした仕草をこんなに懐かしむ、
そんな日が来るなんて若い頃は思っても見なかった。

「ごほうび」の話もベーベー泣いた。
サイバラの本でこんなに泣くのも珍しい。
余命宣告をされた元旦那とどう過ごすかわからなかった時、
人間が先々の不安があってもその日その日のご褒美があると
やっていけるものですよって言う話。

ボクの場合だったら、娘からメールがあるだけでも嬉しいし、
孫の写真が毎日送られてくるのだって「ご褒美」だ。
小さなご褒美でその日が終われれば幸せだ。
サイバラの元旦那だって家族でご飯食べて好きな音楽流すだけでも
ものすごいご褒美だったんだなって「うぅぅぅ」詰まるほど泣く。
いつものように読んでボクの笑いのツボにハマって笑い転げ、
「大丈夫?」と心配されるひとときでもあるんだけどね。
ボクが読んでる姿を録画でもしてくれたら情緒不安定な変な人に
見えるかもしれない。泣いたりわらったり、忙しい。
それほど揺さぶられた。

妻が昨夜読んでいたけど、やっぱり笑って泣いて。
「パパ、もう読んだ?なんかジンときたね刺さるね」そういう。
「ひさしぶりにサイバラさんに会いたくなっちゃった、
コロナになってからあってないものね」。
今、妻はサイバラにあったらいっぱい話したいことあるんだろうなあ、
と思った。そんなお年頃なのだ。



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