私事ではあるが、「8時だよ!通販生活」というwebのページで
新しい連載が始まった。WEBなので是非皆さんも覗いてみてほしい。
「コータリさんの要介護5な日常」という。
2011年にくも膜下出血により突然要介護5の体になったボクと妻が、
同じ時にどう思っていたかを交互に綴っていこうという企画。
介護する側と、される側双方の視点からだとどう違うか、
そんなことが少しでも現れたらいいのにと思う。
または、同じ気持ちだったんだなって言うのが、わかっても面白いと思う。
第1回目は、新しい読者に向けてボクがどういう人間か、
今の体の状態を知ってもらうために倒れた直後の
「ICU」にいた時のことを書いた。
1ヶ月近く危篤状態は続いて、ICUにはそのぐらいいたらしいが、
もちろんボクには全くその時の記憶はない。
ただ、ICUから出たあとどのぐらい経ってからだろうか、、、
文字が書けるようになった頃「こんな感じだった」と書き留めたり、
原稿にしたものがまるで本当の記憶のように今は残っている。
眠っていた間の夢を書き留めたようなものだ。
痛くはなかったが、「動けないぞ、あれ?動けない」と、
よく夢で自分が「おかしいなあ、どうしちゃったんだろう」
そんなことを思うことがあるが、そんな感じ。
夢で目が覚めたら普通は元の体に戻っているわけだけど、
ボクの場合は1年も経っていて体も動けなかった。
1年の間にも、メモ書きをしたり、リハビリをしたり
ご飯を食べる訓練もしてきた。
広島のお偉い方のお見舞いも受けたという。
意味あるその時のことを自分でメモもしてあるし、写真もある。
ボクじゃない人間がボクとして生活していたようだ。
そんな時代のことを、第一回目には綴った。
2回目は今週アップされた妻側のICU時代に思ってきたこと。
ICUっていうのは、命の境目をギリギリに生きている人たちが
過ごしているので緊張感があるのは当然だが、
妻が感じたICUはゆっくり時が流れていたっていうことを
今回初めて知った。
やはり現実の世の中とは違う世界で夢の中のようなことに
変わりはないようだが、ボクが早く目覚めるように
広島のお好み焼きを作って匂いを嗅がせたって話は
何回聞いてもおかしい。
真面目だからこそ笑いが込み上げてきてしまうあれだ。
まあ、ボクは全くそれを覚えてはいなかったんだけどね、残念ながら。
「何かあったら知らせますから」そう言われても
ICUの控え室から離れられなかったという。
「いても何もできないのはわかっているんだけど痛くないか心配で」
そんな話も今回初めて知った。
これからも月に2回ボクと妻が交互に書いていく。
妻は自信がないからって嫌がっていたけど、
ボクも、妻や家族がその時どう思っていたか、
ちょっと覗けるので楽しみにしている。
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