35年ぶりに再開した人がいた。
35年前だってそんなに親しかったわけでもなく、
彼女は、大手出版社の書籍部に所属していて、
ボクがよく出入りしていた週刊誌の編集部で
たまたま話を2、3交わした程度だったと思う。
なぜか今でもその光景はよく覚えていた。
彼女から会いたいと連絡をもらい出向いた。
「私も6年前に脳梗塞で倒れて喋れなかったし、
芋虫のようにゴロゴロ横たわることしかできなかった。
でもね、私はその頃、親の介護もあるし、
自分で食べていかなければならなかったの。
だからなんとしても治らなければいけなくて」
そう饒舌に話し始めた。喋れなかったとは思えない。
「なんか、変な宗教とか思われたら嫌だから
色んな人には話したりはしないんだけどね…」
そう言いながら川平法の話をしてくれた。
ボクももちろん知っていた。
宗教どころか、これを実践できればきっと動かない手も足も
良くなるかもしれないなあと思っていた。
6年前に確か取材にも行ってるはずだった。
「この人はあの川平法を信じて川平先生の元で
懸命にリハビリしたんだなあ」と
ぼくの頭の中にシュミレーションした完成品が
目の前に現れたような気がしてきた。
聞いてもらいたいのはこの先の話だ。
今ぼくは、喋れない事、それから記憶障害もある。
それが、どう表現したらいいか、
原稿にもしょっちゅう書いているんだけど、
健常の人には伝わらないだろうなあと思うことがしばしばある。
それがだ、その人はピシッピシッと言い当てる。当たり前だ。
同じ経験をしてきたんだから。
「ボクの声は口の中までは出しているつもりなんです」
「半ば喋ってると思ってるのよね、けど声にはなってないんだけど」
そうそう、そうなのよ、脳の中では喋ってるつもりなんだけど、
そこの脳の中がうまく繋がってない部分があって
きっと喋れないんだろうなあと常々思っていた。
なんなら脳のこのあたりが繋がってないんです
って言い当てられるんじゃないかと思うほどだ。
ボクひとりそんなもどかしさを感じていたのかと思っていたら
「私もそうでした」とおっしゃる。
記憶も彼女の場合何十年分がすっぽり抜け落ちていたのだそう。
短期記憶もボクと同様、メモしておけばそれを記憶の呼び起こしに使って
連想ゲームのように思い出していたそうだ。ぼくも全く同じ。
ボクは倒れる前のことまでは覚えていたが、
それからのことを覚えていることも覚えられないこともたくさんあった。
彼女曰く、ほんの数ヶ月前に雷に打たれたように記憶が戻ったんだという。
そうしたらどんどん脳の中の引き出しが開くようになった。
最近のわからなかったモヤモヤも全て思い出した。
「神足さんの最近覚えていられなかったことも、
どっかに記憶してるから大丈夫。
脳がちゃんと覚えていてくれているから」そう晴々と話してくれた。
覚えていられないと思っていたボクのポンコツな脳も
「そうじゃなかったんだ」と。
なんか彼女と別れてからもずっと嬉しい。
覚えていないんじゃなくて脳のどっかには覚えていてくれて
それが出てきてないだけなんだってことらしい。
最近、「サブ脳」っていうボクの脳の動かない部分を
サポートしてくれるアプリを作りたいと真剣に思っていたが、
これは本当に朗報である。
脳疾患でもどかしい思いをされて気おいているリスナーの皆さんにも
是非聞いてもらいたい。
脳はちょっとお休みしているだけかもしれないってこと。