小島慶子さんの新刊がPHP新書から出た。
発案からは結構時間が必要だった本らしい。
でも読んでみたら、産みの苦しみを経て
出版に至ってくれて本当によかった、
よくぞ世に送り出してくれた、そう思う本である。
おっさんを長年売りとしているボクとしては爽快な切り口である。
「おっさん社会が生きづらい」タイトルにあるように
「おっさん」がテーマである。
しかも「おっさん」は私だった。そう最初に言い切る小島さん。
今まで嫌っていた独善的で想像力に欠けハラスメントや
差別に無自覚である性質を「おっさん的な感情」と定義するならば、
自分の中にそれが深く刻み込まれているのではないか、というのだ。
この本は、そんな日本社会に染み付いた’おっさん性’について
小島さんと5人の人々との対話方式で問題提起されている。
5人の方それぞれのお話は大変興味深いものだったが、
小説家の平野啓一郎さんと小島さんとのお話しに特に共鳴した。
人は、傷つけられると自尊心感情が損なわれる。
そして傷ついていることを認めてもらえないと怒ることすら
無駄だと感じる。
怒りが暴力になることは論外だけど、怒ることすらできなくて
ひたすら傷つくっていうのはかなりしんどい。
たまには怒ってもいいと思うのですが、その上手いやり方もわからない。
けれど、「気にしないでいよう」なんて思っても若い頃は特に
鈍感になんてなれなかった。
傷つかないように気にしないようにっていくら思っていても、
鈍感になんてなれない。
でも人は「知的になると傷つかない」ということを発見したという平野さん。
本もたくさん読んで、色々経験してなぜ、相手はこういうことを言うのか、
自分がどう言う環境で生まれて、相手はどうなのか?
色々な理由がわかってくる。
そうすると何か言われた時でもむかつきはするが、それに傷つくことは
減ってくる。
そうかかれている。
さらに読み進めれば、今、読書をするという時間は
こういう環境でこうなんだ、など話は続くのですが、
おっさんだって社会の中で踏ん張って生きていかなければ
ならない理由だってあるのは確かだし、そのおっさん化の
その人の一部でしかない。
平野さんの言うところの「分人」である。男にも女にも
そういう一面がある。
若くたっておっさん定義の人間はごまんといる。
ボクははるか昔「輝く中年の星になれ!」と言う本を書いたことがあるが
おっさんって言われてから本当の人間の真意が問われる年代なのだと
その中で話している。ボクは風貌から20代後半からおっさんとして
生きていたが、かっこいいおっさんの定義っていうものも聞かれたりした。
最初に定義したおっさん感情を悪とするならば、
善のかっこいいおっさん感情の定義も今度してみたい。
おばさん化定義とともに小島さんと話したい。
大人になって平和公園をゆっくり歩いたことありますか?
大人が平和公園を知れる機会は案外少ない・・・
ガイドをしていただき、平和公園を歩こうという企画。
今日は私たちと一緒に、平和公園を歩いてみませんか?
今回、平和公園を歩くにあたって、
平和学習講師・内藤達郎さんにガイドをお願いしました。
内藤さんは、3歳の時に、爆心地より4.8キロ離れた
黄金山のふもと向洋で被曝。
直接の惨状は覚えてないが、52歳の時に、
原爆が原因の内分泌機能障害を発症。
2010年からガイドを始め、80歳の現在も精力的に
ガイドをこなされています。
ひろしまのぺけさん、小野さん、河本さん、佐々木さん
専業画家さん、大島のシンさん、ちょこっとチャリダーさん
Jーgayさんの8名の方がそれぞれ想いを抱いて
参加してくださいました。
今回は、平和記念公園を「平和を創る工場」と捉え設計した、
丹下健三さんの「復興の軸線」のちの「平和の軸線」を軸に、
ガイドしていただきました。
まずは、嵐の中の母子像から。
そこから北に向かって、歩いていき・・・
1955年に建てられた資料館をぬけて、慰霊碑へ。
慰霊碑の奥に見えるの、平和の灯火へ。
手首を合わせ両手のひらを大空に広げた大きな台座の中に、
原子の火があり、人間の知恵と勇気で消さなければいけない。
という意味。1964年に作られました。
平和公園にしか咲かないバラが咲くバラ園を見ながら、
北へと歩みを進めていくと、原爆の子の像が見えてきました。
そこから少し西側に向かうと、墓石があります。
ここは平和公園で唯一被爆当時の地面が残っている場所です。
一段と低くなっているのが分かりますか?
爆心地から200メートルの距離にあった、慈仙寺。
上部が吹き飛ばされた五輪の墓は、
広島藩浅野家御年寄・岡本宮内のもの。
爆風の凄まじさをものがたっています。
近くにある、韓国人犠牲者慰霊碑にも立ち寄り、
公園内に唯一あるお墓「原爆供養塔」に向かいました。
公園内に唯一あるお墓。
古墳のような形をした地下室には、いまもなお、
身寄りも引き取り手もない遺骨、
およそ7万体が安置されています。
そしてさらに北へと歩みを進めると、平和の鐘が。
鐘を突くところには原子力のマークが。
原子爆弾の使用禁止の想いを込めて鐘をつきます。
そして私たちは、元安川をはさんだ原爆ドームの向かい側まで
歩いてきました。
今回、改めて平和公園を歩いてみることで
今さらながらの新たな発見がたくさんありました。