今週のハイライト


今月のキーワードは「子ども政策DX」。

4月にこども家庭庁が「こどもまんなか社会」をスローガンに設置されます。
深刻な少子化問題に歯止めを掛け、子育て支援や、
こどもや若者が健やかに成長することのできる社会の実現に向けた
取り組みを強力に推し進めていこうとされています。

こどもDXでは、保育所入所・支給認定手続きに必要な就労証明書が
会社から市町村に直接提出されるようになります。
また、事務手続きのオンライン化や、SNSからの子育て支援情報の提供、
一時保育の予約ができるようになる、といったことが挙げられます。

株式会社レスコも、
ハルモニ@ホームや相談カルテシステムの取り組みを通して、
こどもDXにも積極的にアプローチしていく考えだそうです。

株式会社レスコの藤川佳應社長に教えていただきました。


TBSラジオの「たまむすび」というラジオ番組が3月末で終了するという。

11年続いた番組だ。
実はこの「たまむすび」になる前の「キラキラ」という番組に
ぼくは火曜のコメンテーターとしてレギュラーで出ていた。

しかし、11年前のこれまたRCCラジオやテレビの収録帰りの飛行機の中で
くも膜下出血に見舞われ喋れない体になってしまった。
ラジオの仕事は、実は大好きな仕事であった。
テレビよりラジオで喋ることが好きだったかもしれない。

それから半年経った頃、TBSラジオのプロデューサーや編成局長が
入院中の病室にいらして、番組が終わってしまうこと、
新しい番組は赤江さんがやるということの知らせにやってきてくれた。
なんとなく、前の番組で回復するのを待っていますね、そう言ってくれていて
そんなことは無理だとわかっていても、ありがたく、
それがなくなってしまうのはちょっぴり寂しかったと書いてある。

その頃のぼくは、寝たきりで喋ることもできず、
天井を見つめることしかできなかったのだ。

だけど、新しい番組が始まる頃になると、
毎日病室でラジオをつけて聞いている。
すっかりヘビーリスナーになっていた。発信する側から受け手になった。
「病気療養中の方や」、なんていうMCの方のセリフが今ならしっくりくる。
本当だ、病室や、寝ていなければいけない部屋の中で聞くラジオは、
救いの手のようでもある。
僕の小さな社会との大切なつながりにも見えた。
2、3年経った頃赤江さんもボクのイベントにわざわざいらしてくれた。

ベッドにいるとよくわかる。

ラジオって大切なんだなあとラジオの役割をおもい知った。

喋れないボクに暴挙とも言えるラジオの仕事をくださった
一文字さんや岡さん、TBSの皆さん、
それって思ってる以上にボクみたいな体の人にも、
全く違う病気で聞いている人にも勇気を与えていると思う。

そのこともすごいことだけど、ラジオの力を改めて思う。
目を瞑っていてもお気に入りの声が聞こえてくる。
知り合いのようにその声を毎日、毎週楽しみに聞く。
もちろん会ったこともないのが普通だけど、親近感まで湧く。
それがラジオのいいところだ。

日本中にそんな人がいっぱいいる。
赤江さんの声が午後聞けなくなるのは寂しいけれど
これからまた新しい何かが始まるだろう。期待してラジオをつけたい。


東日本大震災から、今日で12年。
今日は、岡さんが福島県の双葉町を訪れた様子をお送りしました。

12年という時間が過ぎ、岡さんが抱いていた疑問は、
帰還困難区域のお宮やお寺はどうなっているのか。
調べてみると、福島県双葉町に建設中の復興祈念公園の中に、
昨年「合祭殿」ができたと知りました。

福島県神社庁 庁長の丹治さんによると、
原発事故の影響で「帰還困難区域」となった地域の神社の数は36、
うち大熊町と双葉町だけで23社あるそうです。
事故当時、警戒区域内に取り残されてしまった240もの神社。
その神社の氏子さんたちが集まってお参りできる場所に、と
「合祭殿」は作られました。
活用してもらわないと意味がないけれど、最終的にはそれぞれが地域に戻り、
合祭殿が不要になることを望んでいる、とお話されていました。

岡さんは、この「合祭殿」を目指して、双葉町に向かいました。




合祭殿の宮司を務めているのが、
双葉町役場のすぐ近くにある「初発神社」の高倉宮司です。
初発神社は震災で傾いてしまい、ワイヤーで固定されていた時期が。
作業に移れた時には、震災から3年経っていました。
原発事故で明日から地域に入れない、となった時に、
高倉宮司がご自身で御神体を持って帰ったそうです。
お宮を建て替えることができたのは、令和元年。
震災から10年近く経過してのことでした。
御神体をお宮に戻すことができたのは、令和2年になってから。
氏子さんにあたる住民は、2000戸、約8000人いましたが、
今では60人となっています。





高倉宮司は、震災から経過した時間は、長いようで短い、
避難先で基盤ができた人はなかなか戻ってこない、と話します。
取り上げられるのは、きれいになった新しい建物ばかり。
復興してる、と言われても、なにが、と感じる、と率直に語ってくれました。
岡さんも現地を訪れてみて、想像していた「復興の進む町」とは
かけ離れたイメージだったと言います。





初発神社には、なじみの方が訪ねて来られます。
広島から来た岡さんを、明るく温かく迎え入れてくれました。
震災の被害、除染にのお仕事の話など、伺うことができました。
除染や中間貯蔵施設で働く坂本さんは、
岡さんが疑問に思った農地に停まったブルドーザーについて、
土の入れ替えなど、除染のためではないかと教えてくれました。
大量のフレコンバックの行先は、中間貯蔵施設では、と言います。
作業にあたり、怖くはありませんか?と尋ねると、
地道にコツコツやるしかない、怖さは特にない、
頻繁に出入りするから関係ない、との答えが返ってきました。





双葉町2日目。
岡さんは、合祭殿を目指して、復興祈念公園に向かいました。
駅からのバスでは、ドライバーの谷本さんにお話を聞けました。
原発事故は、まるで頭の真上で花火が上がったようだった、
「危ないから逃げろ」という弟さんからのメールは、
事故から10日後に届いた、と話してくれました。





祈念公園には、町に原発ができた経緯や事故後の様子を展示した
「東北大震災・原子力災害伝承館」があります。
こちらでは、地域の方が語り部となって、
震災について話す時間が毎日設けられています。







そして、今回岡さんが双葉町を訪ねるきっかけとなった「合祭殿」。
新しくきれいな合祭殿の前に、壊れた鳥居や解体前の廃屋、
基礎だけになった家の跡といった、時間が止まったままの光景が広がります。







駅前にある、双葉町役場も訪ねてみました。
対応いただいた復興推進課の武藤さんは、双葉町の出身。
帰還困難区域が解除になった双葉駅周辺から復興させていこう、
住民アンケートで声を聞きながら進めている、と話してくれました。
住民の皆さんから必要と声が上がっているのは、医療・教育・商業施設。
まだ人が戻ってきていない、という声をなくしたい、と、
故郷への思いをもって取り組まれています。

町は5年後の居住人口を2000人とする目標を掲げています。
ただ、21年度の住民意識調査では
戻りたい…11.3%、戻らないと決めている…60.5%と、険しい道のりです。
ただ、明るい話もあります。
12年ぶりに開催された「だるま市」には、3000人が集まりました。
双葉町を訪れる人は、少しずつではありますが増えています。




初発神社の氏子総代を務める小川さんは、
震災前の双葉町の風景はなくなってしまった、と言います。
町の復興を考えた時に、町の歴史の中にあった
「初発神社」という伝統文化を残すこと、それだけで意味がある。
震災前に町で暮らしていた人とは、
暮らしだけでなく、苦しみも共にしている、と話してくれました。

双葉町と言えば、初発神社と神社から聴こえる朝の太鼓だと、
初発神社で出会った坂本さんは、話します。
叩いていたのは、高倉宮司。
震災後たったひと月で手が綺麗になってしまった、と言いながら、
太鼓の音を聴かせてくれました。
この初発神社の太鼓の音が、双葉町の朝に戻ってくることを祈ります。





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