今週のハイライト

大人になって平和公園をゆっくり歩いたことありますか?
大人が平和公園を知れる機会は案外少ない・・・
ガイドをしていただき、平和公園を歩こうという企画。

今日は私たちと一緒に、平和公園を歩いてみませんか?



今回、平和公園を歩くにあたって、
平和学習講師・内藤達郎さんにガイドをお願いしました。

内藤さんは、3歳の時に、爆心地より4.8キロ離れた
黄金山のふもと向洋で被曝。
直接の惨状は覚えてないが、52歳の時に、
原爆が原因の内分泌機能障害を発症。
2010年からガイドを始め、80歳の現在も精力的に
ガイドをこなされています。



ひろしまのぺけさん、小野さん、河本さん、佐々木さん
専業画家さん、大島のシンさん、ちょこっとチャリダーさん
Jーgayさんの8名の方がそれぞれ想いを抱いて
参加してくださいました。

今回は、平和記念公園を「平和を創る工場」と捉え設計した、
丹下健三さんの「復興の軸線」のちの「平和の軸線」を軸に、
ガイドしていただきました。

まずは、嵐の中の母子像から。



そこから北に向かって、歩いていき・・・
1955年に建てられた資料館をぬけて、慰霊碑へ。




慰霊碑の奥に見えるの、平和の灯火へ。
手首を合わせ両手のひらを大空に広げた大きな台座の中に、
原子の火があり、人間の知恵と勇気で消さなければいけない。
という意味。1964年に作られました。
平和公園にしか咲かないバラが咲くバラ園を見ながら、
北へと歩みを進めていくと、原爆の子の像が見えてきました。
そこから少し西側に向かうと、墓石があります。




ここは平和公園で唯一被爆当時の地面が残っている場所です。
一段と低くなっているのが分かりますか?

爆心地から200メートルの距離にあった、慈仙寺。
上部が吹き飛ばされた五輪の墓は、
広島藩浅野家御年寄・岡本宮内のもの。
爆風の凄まじさをものがたっています。

近くにある、韓国人犠牲者慰霊碑にも立ち寄り、
公園内に唯一あるお墓「原爆供養塔」に向かいました。

公園内に唯一あるお墓。
古墳のような形をした地下室には、いまもなお、
身寄りも引き取り手もない遺骨、
およそ7万体が安置されています。

そしてさらに北へと歩みを進めると、平和の鐘が。




鐘を突くところには原子力のマークが。
原子爆弾の使用禁止の想いを込めて鐘をつきます。

そして私たちは、元安川をはさんだ原爆ドームの向かい側まで
歩いてきました。



今回、改めて平和公園を歩いてみることで
今さらながらの新たな発見がたくさんありました。



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