なかなか一冊に決められないのが本音だけど、
ボクの部屋の本棚の大切コーナーにある一冊に手を伸ばした。
最初にこれを手に取ったんだからやっぱりこれにしよう
辺見庸 著 『もの食う人びと』
人間食べていかなければ生きていけない。
色々な普段は行かないようなところの
それも現地の人が食べている食事を食べる。
ダッカで残飯を食べたり、チェルノブイリで放射能汚染食品を食べたり。
金属探知機みたいな 放射能を図る棒を衣服に当てて
緑が点灯すれば入れる 原発職員用の食堂で
ローストチキンや林檎ジュースなどの配給を待って食べる。
「放射能?全く問題ないんですよ
この野菜とかはキエフから来てる。30キロ離れてる」
「建物だって大丈夫、3ヶ月もかけて除染したのよ」
大丈夫だと言い張る絶対汚染されている食品を食べてみる。
そこの人たちはそれを食べているのだ。
「魚食う心優しい男たち」を例に挙げてみよう。
クロアチアではユーゴ紛争の暗い話ばかり
つい3日前にもセルビアがザダル付近を奉迎したばかりだ。
そんな中、
「日本のように焼き魚をしょっちゅう食べているみたいなところがあって」
という情報を得てその村にいって魚を食べる話。
爆撃が続く中で漁には出ているそうで船乗りと出会う。
ワインといちじくでもてなしてくれ、ベランダはベコニアで彩られ、、、と、
珍しく穏やかな風景が読んでいて目に広がるが
「この島だって平和じゃないのよ」と。その悲惨さの話を聞く。
「焼き魚どころじゃないなあ」と作者は思うのだが
そこにいた人たちの心優しさが紛争の悲惨さと対比され
思い出される章である。
焼き魚をむしゃむしゃ食べる白人を見て
民族の差なんて大したことないって思えたと辺見さんもおっしゃる。
究極は、残留日本兵が食べてきたものや、
言葉ではなかなか表せないものをその地で食べてきた人もいる。
人は食べる事もないようなものを 食べなければいけない事もある世界の中。
地球の片隅では 思っても見ないものを食べている事もある。
が、奇食に見えてしかし、奇食など世界にひとつもない。
それを食べる十分な理由と 食うことと食えないことに関わる
知られざるドラマを持っていると。
今ボクたちが口にしている食べ物。口にしなければいずれ人は衰退していく。
食べるものを選べる自由を持ったボクは、
この本の背表紙をみるたびに色々な悩みもちっぽけに見えてしまう。