今週の深堀シャベル


阪神淡路大震災から25年。
最愛の息子さんを亡くした、広島在住の加藤りつこさんのお話。

加藤りつこさんには一人息子・貴光さんがいました。
当時 貴光さんは神戸大法学部2年。
広島の高校を卒業後、暮らしていた兵庫県西宮市内のマンション
の自室が倒壊して下敷きになりました。

震災当日は交通網が麻痺し、広島から神戸に行く手段が全く無く、
翌日の伊丹空港行きの飛行機の臨時便に飛び乗り、
貴光さんの元へ駆けつけました。

そこで、りつこさんが目にしたのは、遺体安置所となった
安井小学校で冷たくなっている貴光さん。

実は、加藤貴光さんは、昔一文字さんがメインパーソナリティを
務めていた「びしびしばしばしらんらんラジオ」の
学校対抗トーナメントクイズ大会で、安古市高校代表で出演。
一文字さんとは決勝まで3・4回話をしていて、
その中でも一文字さんが心に残っていたのは
病気で番組を休んだことを気遣ってくれるコメントをくれたこと。

そんな心優しい貴光さんがなぜ。

最愛の一人息子を亡くし、絶望のりつこさん。
そんなりつこさんを支えたのは、妹のひさこさん。
何年経っても受け入れることができず、
当時はふさぎ込んでいたと証言。

絶望からどう這い上がればいいのか?!
いや、このまま絶望のどん底でもいい・・・
そんなりつこさんに救いの手を差し伸べたのは、
貴光さんが大学入学直前の1993年春、母りつこさんに書いた
手紙でした。
新聞にその手紙が紹介され、りつこさんに会いたいという人が
全国各地から現れ始めました。



親愛なる母上様

あなたが私に生命を与えてくださってから、
早いものでもう20年になります。
これまでに、ほんのひとときとして、
あなたの優しく、温かく、大きく、そして強い愛を
感じなかったことはありませんでした。

私はあなたから多くの羽根を頂いてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること…。
この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。

そして今、私は、この翼で大空へ飛び立とうとしています。
誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。

これからの私は、行き先も明確でなく、
とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。
疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも
多々あることと思います。
しかし、私は精いっぱいやってみるつもりです。
あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、
力の続く限り飛び続けます。

こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。
住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。
決してあなたは独りではないのですから…。

それでは、くれぐれもお体に気をつけて、
また会える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意を込めて。



この手紙をきっかけに、りつこさんは様々な人と出会います。

福山市にある盈進高校ヒューマンライツ部率いる延先生は、
25年経った今も加藤りつこさんを招き、りつこさんは生徒の前で、
命の大切さ、国連で働く夢を持っていた貴光さんの話をしています。

そんな中、りつこさんの話を聞いて、影響を受けた学生がいます。
盈進高校ヒューマンライツ部に所属していた松田小鳥さんです。



松田さんは、りつこさんの話を聞いた時は中学生で、
自分が一体何なのか見い出せず、悩んでいたそうですが。
今は、教師になって、貴光さんがやりたかったことを
自分が実現したい、そして阪神淡路大震災のことも後世に伝えたい
ことが夢だそうです。

りつこさんもまた松田さんに出会って、松田さんの夢を聞いて、
26年目は希望の年になると、気持ちの変化があったようです。

もちろん、それぞれに事情やいろんな物語があると思います。
今回、加藤りつこさんは25年経ってやっと希望が見えたと
おっしゃっていました。
悲しみや苦しみに耐えるだけでなく、
希望を持って待つことができるようになると
次の一歩が踏み出せるのではないかと
加藤りつこさんから学んだような気がします。



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