毎月第三土曜日の深堀シャベルは、
東林館高等学校理事長 喜田先生の親子教育相談所。
今月は、「新年度の不安」をテーマにお話をしました。
こどもだけでなく、新入社員、新任の先生、新しい部署に異動をした人、
みんな不安があるかと思います・・・
新しい環境、親の不安はこどもがちゃんと対応しているかに尽きますよね。
シーズンの初めは変化を経験しないといけませんが、
この変化がストレスになることも・・・
家は充電するための基地なので、
家でのこの時期はサインは見逃さないように。
ただ、根掘り葉掘り聞くのはNG。聞くのは、親が安心したいだけ。
もちろん話を聞くのは大切だが、矢継ぎ早にいろいろ聞くのはNG。
また、新年度といえば新しい持ち物があるので、忘れ物問題も。
しかし、忘れ物はこの世の中にないんです!
忘れ物するなよ~とよく言いますが、
例えば、ボールペンが忘れ物に変わる瞬間があります。
「明日ボールペンを使います、忘れずに」と言われ、
それを当日忘れた場合、ボールペンが忘れ物という名前に変わります。
親はよく家を出る時に、忘れ物ない?と聞きますが、
忘れ物とその時点で決まってないからこどもはピンとこないのです…
周りの大人のコミュニケーションの工夫が必要なんです。
ボールペンは?など具体的に聞いてみることが大切ですね・・・
明日は、世界パーキンソン病デー。
パーキンソン病を発見したイギリスのジェームズ・パーキンソン先生の
誕生日にちなんで1997年に制定されたそうです。
全国パーキンソン病友の会のHPによりますと
・パーキンソン病は、脳で作られる神経伝達物質の一つ
・ドーパミンが減少して起こるもので、
原因がわからず治療法も確立していない病気
・発病率は人口10万人あたりおよそ100人といわれており、
日本では現在12万人ぐらいの患者がいると推定
今日の深堀シャベルは、31歳のときパーキンソン病を発病した古本幸さんと
そしてパーキンソン病患者を題材にした映画「いまダンスをするのは誰だ?」
を制作している古新舜監督にパーキンソン病について改めて伺いました。
パーキンソン病、50代60代で発病というイメージがあります。
40歳以下で発病するパーキンソン病は
「若年性パーキンソン病」と言われています。
古本さんは31歳の時に発症した「若年性パーキンソン病」
しかし、それが診断されるまで、様々な検査をし時間がかかったそう。
当時コンサートスタッフだった古本さんは、コンサートのリハーサル中に
音の聞こえがおかしい、足がふらつく…などといった症状で診断に。
若年性パーキンソン病はなかなか知られておらず、
パーキンソン病患者12万人中10%ほど。
街中で急に立ち止まってしまったり、
少し助けてもらえませんか?と声をかけたりすると、
「若いのにどうしたの?」「若いから大丈夫よ」と
言われてしまうことも。
社会的な理解が必要だと感じました。
そんなパーキンソン病をもっと知ってもらいたいという思いから
古新監督はパーキンソン病患者を題材にした映画
「いまダンスをするのは誰だ?」を制作。
働き盛りで発症したパーキンソン病当事者の仕事、人生、
家族をリアルに描きます。製作にはパーキンソン病当事者も参加。
日本では初めての試みだそうです。
言葉だけでの”多様性”は簡単ですが、映画を見ることで
自分ごとにしてほしいという想いがあります。
こちらの映画は、これから作られていきます。
進捗状況なども随時番組でお伝えできればと思っています。
今日は、一文字&岡がここ最近憧れてやまない「縄文時代」を深堀り!
しかし歴史の授業では、1ページくらいで、
意外と知られていない縄文時代・・・
ということで今日は!
尊敬する人は縄文人、和樂webライターの縄文女王こと、
笛木あみさんに改めて縄文時代について教えてもらいました!
縄文時代とは、今からおよそ1万5000年前から2500年前までの
1万2000年〜1万3000年くらい続いた時代のこと。
縄文時代は、日本列島に生きている人々がはじめて定住を実現した時代。
定住すると、ムラを作り、集落ごとにグループがわかれて、
「地元とよそ」という概念ができて交易がはじまったり、
仲間意識を高めるための祭祀をしたり、祭祀のための道具を作ったりと
生活がいろいろガラッと変わります・・・!
春には山菜をとり、夏には魚をとり、
秋には木の実をひろって、冬には狩猟をする…
というように、自然環境に合わせて人間のほうが
自由に生業を変えるような生活をしていたそうです。
一つの生業に頼っていたのではいつ食糧がなくなるともわからない。
だから彼らは、海民であると同時に猟師であり、ギャザラーであり、
技術屋であり、自然のことをよく知っている知識人でもあった。
縄文人は、「ひとつながりの自然」の中に、自らを組み込んで暮らした。
だからナチュラルに自然への倫理観を保つことができた。
だからこそ、持続可能な社会、
1万年以上続いたともいえるのではないでしょうか?
縄文人は、自分は自然の一部であり、自然は自分の一部であるというふうに、
人間を含んだ自然を、大きなひとつながりのものとして捉えた上で
生活を営んでいたようです。
なので、現代のように、規則やルールによって自然への倫理観を
保つ必要はなかったのではないでしょうか?
最後に笛木さんが、
「ルールや規則は、守るか守らないかの二択だからすごく窮屈だし、
意識しないと忘れられてしまうものだけど、
自分に組み込まれているものだったら、
自分のことを考えるのと同じですから、
ルール化しなくても倫理観て保たれる、
それが、縄文的サステナビリティの肝なのでは?」
と仰っていたのがとても印象的でした。