広島市南区にある被爆建物「旧陸軍被服支廠」。
保存か解体かで揺れていましたが、
先月19日に現存する全4棟が国の重要文化財に指定され、
耐震化の後、保存されることが決まりました。
先日、竹原市とたけはら男女共同参画社会づくり実行委員会主催で
「語り継ぐヒロシマ」と題した、
「被服支廠」のツアーイベントが開かれました。
そこでガイドをされたのが、被爆者である内藤達郎さん。
平和学習講師として、平和記念公園や被服支廠をガイドされています。
大きな姿ながら、どういった建物か正確には知られていない部分もある、
旧陸軍被服支廠。
元々は、今から110年以上前、1913年に建てられた、
陸軍の軍服や軍靴などを製造していた施設でした。
全盛期は、木造の棟もあり、2500人~3000人が働き、
広大な土地を持っていたそうです。
数年間、解体か保存かで揺れ動き、
先日国の重要文化財に指定されたことで、やっと決着がつきました。
ただ、近年は活用されていない状況が続いています。
内藤さんは、今では被服支廠には4つの顔があると言います。
①大正時代の建築学的価値
②巨大な被爆建物
③臨時救護所(被爆者を葬った場所)
④軍事工場としての加害者責任「戦争の負の遺産」
爆風に耐えるほどの強固な構造をしていたため、
被爆直後には、たくさんの負傷者が運びこまれたのです。
内藤さんは「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の事務局長です。
この会は、被爆者の中西巌さんが2014年に立ち上げ、
被服支廠全4棟の保存に尽力されましたが、
中西さんは昨年8月、保存の知らせを聞くことなく、亡くなられました。
現在、中に入ることはできませんが、今年耐震化工事が始まる予定です。
活用案としては、平和学習の拠点、文化芸術拠点、宿泊・観光拠点などが
検討されています。
内藤さんの思いは、「早く平和学習の拠点の一つに」。
これからの被服支廠がどんな顔を持つのか、追っていきたいと思います。