今月アーサービナードさんが紹介してくれたのは、エドナ・ミレイの
「時間のなせる業」という詩。
エドナ・ミレイはアメリカ出身の詩人で1923年には「竪琴をつくる音」
という作品で女性で初めてピュリッツァー賞 詩部門も受賞。
アーサーさんはこれまでにもミレイの詩を数多く翻訳しているのですが、
今回の「時間のなせる業」という題名もアーサーさんが訳したもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしの疲れた体がよみがえる。
これは時間の流れがもたらす現象。
生まれたばかりの赤ん坊の柔らかい骨が丈夫になり、
瞬きができて泣きわめく声も大きくなり、
よちよち歩きが出来るようになるのもすべて時間の引き起こす現象。
もともと子宮の闇に浮かんでいた記憶を消し去るのも時間。
やがてその子が一人前の男になり、周りの世界を見つめ、
不思議がったり疑ったり自らの言葉で表したりして、
時間は彼に制服を着せて、またそれを脱がしては新しい制服を着せ、
たとえ後悔があっても恥をかいても、
いずれそれも彼から全部外してくれる。
わたしはそこに、ひとつの希望を見出す。
私の頭はやがて白髪に変わり、ハイヒールが履けなくなり、
杖が必需品となって それを持つ手もしわしわに・・・・
一日中椅子に座っていることもあるだろう。
でも嫌だとは思わない。時間がそんな変化をわたしにもたらすとき、
この辛い悲しみをも、変えてくれるはずだ、人畜無害のものに熟成させて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さんは、この訳詩を見てどのように感じられたでしょうか?
まもなく81年目の8月6日を迎えますが、これから90年、100年、
もっと長く続いていく時間の経過の中で「忘れられない」そして
「忘れてはいけない」広島の記憶をどう受け止めていくのか。
時間が私たちに与えてくれるものは、何なのか?
そんなことを考えさせてくれる一遍でした。
